日本拳法は1932年、故 澤山宗海(さわやまむねおみ)先生によって創始された武道である。
 拳法の本来は、いうまでもなく武道である。だが、同時に、スポーツとしてその快味を楽しむこともできるし、また、体育として心身を陶冶することもできる。これは、その受け取り方によって、できてくる相違である。だがしかし、拳法自体は元来一つのものであって、その受け取り方のいかんによって、変わるものではない。これは、修業者がよく銘記せねばならないことである。
日本拳法の修練は、道を求めての修行である。道を得れば日本拳法は武道形成が果たされ、倫理・徳を有する人間形成がなされ、これによって自己の生存に意義と自信を見出し、生き甲斐を得るものである。
 礼こそは、社会生活を営む人間にとって必須の要事である。礼の基盤となるのは、敬譲の精神である。
即ち、互いに敬い合う、互いに譲り合う心情である。この心情をもって人々が接するが故に互いに結ばれ、和ができてくるのである。
平素の修練では、精神面、身体面とも強を求めて鍛錬を重ねていくとともに、社会の繁栄と平和に貢献するべく自己研鑽に励むことが重要である。
 東洋には、古くから諸派の拳法が伝わっている。いずれもみな長い道統を有するが形(型)の拳法である。だが、昭和7年に創始されたこの日本拳法は乱(らん)の拳法であった。防具を創案し、それを着装して、お互いに自由に撃ち合って、拳の法を修めるものである。
 初めてこの世に生まれた乱の拳法には、もとより師家もなければ、道統もなかった。日本拳法の修行と研究は、いわば、人跡未踏の大陸を探求するようなものであった。
 日本拳法は、素手の格技である。その技術構成は、拳の突打、足の蹴りなどの博技(うちわざ)と、組みついた場合の投技、関節の逆技などの諸技とを総合したものである。人間の最も本来的な格闘技術である。
その特徴は、突打蹴の博技に対して、創案の防具を着装して、安全に、かつ自由に撃ち合って稽古をすることである。この稽古法を乱(らん)稽古といって、練技の主流とし、また、この様式によって、いままでできなかった試合を可能にした。
 拳の格技は、組打ちの格技とちがって、修技者の両名が、相対して互いに自由に技を戦わせて稽古することは、きわめて危険である。これがため、拳の格技の稽古法は、古くから補助的な独り稽古をしたり、また修技者同志が形(型)の形式で稽古してきたものであった。もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
 実際に役立つ、実法を修練するには、どうしても自由に撃ち合う稽古をする必要がある。そこで、自由な撃ち合い稽古を工夫考案したのである。もちろん防具のないときのことであるから、互いに拳足を相手の体に当てないように、その寸前で止める空撃をもって、撃ち合いをすることにしたのである。そこで、まず、約束組手、自由組手、真剣組手の三つの稽古法を創ったのである。
 自由組手の出現は、いままでの拳の技法を一変させた。しかし、なんといっても、互いに空撃の撃ち合いでは、不十分なところがあり、それなりの欠陥もできてくる。本当に充実した修練成果を収めるには、さらに一歩進んで防具装着による稽古をせねばならない。われわれ自身の手による試作品は実験を繰り返し、できあがった手製の防具見本として、街の専門店へ回し製作されることになったのである。それからは、防具を着装して思う存分、力一杯の突打蹴をもって撃ち合い、組みついては投技・寝技にも転じ、徒手格技の総合的な稽古をすることとなったのである。
澤山宗海著「日本拳法」より